インドシナ半島を南北に走るインドシナ・マレー半島縦貫鉄道構想の中核路線「タイ中高速鉄道」は、2017年12月の着工から間もなく6年を迎える。バンコク(クルンテープ・アピワット駅)と東北部の玄関口ナコーンラーチャシーマーとを結ぶ第1期(約253キロ)工事の最新の進捗率はコロナ禍の影響もあって8月末時点で24%余り。6月末からの約2カ月間でわずか2%増えたに過ぎない。それでもタイ国鉄は、第1期区間の開通期限を26年内と設定し、今後路線が正式に閣議決定される第2期区間(ナコーンラーチャシーマー~ノーンカーイ、約356キロ)についても当初計画より1年遅れの28年中の運行開始とする線を崩していない。その背後には、長い間、陸の孤島として開通を待ち焦がれてきた東北部地方各県の悲痛な叫びがあった。
早ければ年内にも閣議決定されるタイ中高速鉄道第2期区間は、ナコーンラーチャシーマー駅を出発した後、最初の停車駅として在来線のジャンクションが存在するブワヤイ駅に到着することは前回書いた。列車は同駅を出発後、国道2号線と在来線の東北部本線にほぼ平行する形で北上し、隣接するコーンケーン県のバーンパイ駅に滑り込む。
この間、高架橋を中心に建設されるとみられる高速鉄道は、距離にして62キロ余り。時間にしても1時間にも満たない公算だ。日本で言えば、東京から神奈川県の茅ヶ崎海岸ほどの近距離に、最高時速250キロの高速鉄道の中間駅を建設するようなものだ。さらにその先、この地方の中核都市コーンケーンに至ってはバーンパイからわずか40キロしか離れていない。最高速度に到達する前に自動制御がかかり、惰性運転に切り替わることは眼に見えている。
本稿第87回「悲願の新線コーンケーン~ナコーンパノム線その3」でも書いたが、コーンケーン県バーンパイ郡は人口わずか10万人の田舎の小都市。そもそもここに輸送需要もなければ、利用する住人さえいない。バーンパイを通過地点とし、ブワヤイ~コーンケーン間約104キロをノンストップで運行しても、大きな影響はほとんどないというのが経済合理性からの判断と言えるだろう。ところが、これほど近いこの区間に途中駅ができる。果たしてなぜか。
これには、東北部イサーン地方の数百年超に渡る悲願があったとする見解が有力だ。まずは、「バーンパイ~コーンケーン周辺概図」を見てほしい。南から北に伸びる在来線とタイ中高速鉄道。バーンパイ駅とコーンケーン駅の市街地からは、それぞれ東に幹線道路が延びていることが分かる。バーンパイから東進すると約70キロでマハーサーラカーム県の市街地に到着する。さらに東に進むと、約50キロの先にローイエット県の中心地。一方、コーンケーンから東には約80キロのところにガーラシン県の市街地がある。その北東130キロの地点にはサコンナコーン県の県庁もある。
これら4県は、いずれも人口100万人を超えるイサーン地方の有力県。マハーサーラカームとガーラシンの両県はほぼ100万人にとどまるが、ローイエット県とサコンナコーン県は120~130万人を擁し、もう一段と多い。地方政治への影響力や経済効果を考えたうえでも決して無視できない規模である。(イサーン地方には他に人口約260万人のナコーンラーチャシーマーや同190万人のウボンラーチャターニー、同160万人のウドンターニーなどの各大規模県がある。)
ところが、これらの4県をはじめその周辺に隣接するムックダーハーンやヤソートーン、ナコーンパノムなどの小県も合わせたこのエリアは、未だ鉄路で結ばれたこともなければ航空便も限定的とあって、首都圏からは遠く離れた辺境の地としての地位に長らく甘んじてきた。企業の投資も後順位となりがちで、これが地域発展における負の連鎖をもたらせてきた。
これを打開するものと期待されているのが、今回のタイ中高速鉄道であり、以前取り上げた在来新線のコーンケーン~ナコーンパノム線というわけだ。イサーン地方の奥深い内陸に位置するこれら地域の今後の開発・発展において欠かすことのできない玄関口として期待されているのが、高架新駅のバーンパイ駅でありコーンケーン駅であるということになる。
イサーン地方はかつて、カンボジアのクメール族に侵攻を受けたという苦い経緯も合わせ持つ。直接的な異民族の脅威にさらされることの少なかったチャオプラヤーデルタ地方などとは異なって、経済的な動機以上に安全保障上の必要からも一体性を求める声が強いと言えるだろう。
だが、一方で、バンコクなど首都圏に暮らす都市部の住民の中には、未だ偏見で満ちた印象でしかイサーン地方を論じることのできない人々も少なくない。高速鉄道や新線が開通したとしても、大事なことは国民の認識がどこまで未来志向の建設的なものとなり得るかにかかっていると言えるだろう。高速鉄道はその答えをタイ社会に問うているとも言えるのではないか。(つづく)