将来のタイ中高速鉄道との接続が有力視されているラオスの中老鉄路は昨年末で開業から4年目を迎えた。ラオスの首都ビエンチャンと中国国境ボーテンを結ぶ全長約420キロ。国内初の高速鉄道は、ボーテンから中国昆明に乗り入れるなど旅客貨物ともども好調に推移している。加えてもう一つ、ビエンチャンから中国国境に向けた輸送路として注目を集めるようになったのが、開業から5年目を迎えたビエンチャン-ボーテン高速道路だ。未だバンビエンまでの開通にすぎないが、この区間は利用客も増え並行して走る中老鉄路と競争を展開して需要の掘り起こしにもつながっている。連載の今回は観光地としても名高く、中老鉄路の主要停車駅でもあって高速道路も通じることになったバンビエンの今をお伝えする。

首都に近いビエンチャン県にありながら、石灰質の高い岩山と静かな水場に囲まれた避暑地バンビエン。中老鉄路や高速道路が開通するまでは九十九折の一般道を車両が高いエンジン音を立てながら進むしかなく、ビエンチャンからの所要時間も3時間以上を要していた。ところが、それがわずか1時間余に。このため、快適さもあって当地を訪れる観光客は増加の一途。カルストの大地が織りなす美しい自然を一目見ようと、平日であってもごった返している。
その中でもひときわ人気が高いのが、岩山から見下ろす絶景とナムソン川の清流がつくる大自然だ。ビューポイントを目指しトレッキングに興じる人や川でボートを繰る人、河原でバーベキューやラオス・イサーン料理を楽しむ人など実にさまざま。国際色豊かなレストランやカフェもあって、めいめいが楽しめる休日がここにはある。
その観光地を身近なものにした最初のきっかけが、2020年12月に一部開業したビエンチャン-ボーテン高速道路だった。制限速度は最高120キロ。開通したのは第1工区のビエンチャン~バンビエン区間の109キロにすぎないが、市街地へのアクセスがよく予想を超えた利用客があるという。石灰岩の山々の間を縫うように走るその風景は、日本の上信越道・妙義山を通過するあたりの景色とどこか似ている。
ビエンチャン~バンビエン区間はもともと中老鉄路と同じ21年末の同時完成を予定していた。中国・雲南建設投資グループとラオス政府の合弁事業。18年末から工事が進められてきたが、ラオス政府の強い要請もあって13カ月も前倒しする形での開業となった。一部工事中ながら、この区間で3つのサービスエリアと2つのパーキングエリアを整備させる計画でいる。出入口であるインターチェンジも区間内に6つを数える。
高速道路建設は、両国間で19年に署名された「ラオス・中国運命共同体アクションプログラム」の一つに位置付けられている。言わずと知れた中国の国家戦略「一帯一路」の一部を構成する。残るバンビエン~ボーテン間も3つの工区に区分され、順次工事が進められる計画だ。第2工区はバンビエンから古都ルアンパバーンまでの約136キロ。第3工区はその先ウドムサイまでの約113キロ。そして、第4工区が中国国境ボーテンまでの81キロとなっている。
バンビエン市街を南北に縦貫する国道13号線のすぐ西側に沿った形で、縦1000メートル、横幅100メートルほどの細長い未舗装の空地がある。週末ともなると仮設のテントが設置されナイトマーケットなどに利用されているが、半世紀前この場所が何であったかを知る人は今や地元でも少なくなっている。米軍コードネーム「リマ・サイト6」。これが、かつてのこの場所の呼び名だ。50年代半ばから75年にかけてベトナム戦争時の秘密航空基地として利用されたのがこの滑走路跡地だった。
米軍施設でありながらも使用していたのは米中央情報局(CIA)傘下のダミー航空会社「エア・アメリカ」。民間航空会社を装いながら、24機の双発輸送機、24機の短距離離着陸機、そして30機のヘリコプターが運用されていた。エア・アメリカの業務には操縦士や地上係員、航空貨物職員の総勢約300人が、リマ・サイト6やベースキャンプのあるタイ国内で従事していた。
密かに語り継がれているのは、当時ラオス国内で栽培されていたアヘンをこの場所から海外へ向けて密輸していたという事実だ。密輸にはCIA上層部が関与していたことは濃厚だが、現場の地上係員や貨物職員などには知らされていなかったと見られている。飛び立った麻薬がどこに持ち込まれていたのかも分かっていない。もちろん、売却資金が何に使われていたのかも不明のままだ。
首都ビエンチャンから1時間圏内となった避暑地バンビエン。バックパッカーに止まらず、今やカップルや家族連れでも賑わうようになった。だが、つい50年前までベトナム戦争の緊張に包まれ、麻薬の密輸が行われていたという痕跡は、もはや滑走路跡地にしか残っていない。(つづく)