メコン川中流域にかつて存在したラーンサーン王国の古都ルアンパバーンは仏教文化で彩られた歴史の町。1995年には市街地全域が国連ユネスコの世界遺産として登録されている。現在は人口で10万人にも満たない北部ラオスの小さな一都市に過ぎないが、それでも「百万頭の象の王国」を意味するラーンサーンの言葉はラオスの人々のアイデンティティーとして深く心に刻まれている。その街に近代的な鉄道が初めて敷設されたのは今からわずか3年半前の2021年12月のこと。「街が変わる」「歴史が傷つけられる」とする論評も一部にあったが、威風堂々、今もなお歴史の街は静かに悠然と時を刻み続けている。
タイ中高速鉄道との接続が確実視され、首都ビエンチャンから中国雲南省昆明へ乗り入れる高速鉄道の中老鉄路。ラオス国内にあってその中間主要駅に位置づけられるのが、ルアンパバーン駅だ。全長300メートル以上もある巨大な駅舎は旧市街地から東北東に20キロも離れた山中にあり、徒歩で向かうには極めて困難。バンタイプのミニバスが旅行客を運んでいる。
周囲はどこまでも続く険しい山岳地帯。トンネルと橋梁続きで、列車はルアンパバーン駅を出て北に10数キロの地点でメコン川を渡河する1本目の巨大橋へと至る。この地点の川幅は約400メートル。5本の巨大な橋桁に支えられた鉄路は対岸の山肌にぶつかるとそこからまた深い闇へと吸い込まれ、両国国境までトンネルと橋梁が断続的に150キロ以上も繰り返す構造となっている。建設工事においても、最も難度の高い工区の一つだった。
その中老鉄路の中国直通乗り入れ2周年を祝うミニイベントが今年4月半ば、沿線の施設で厳かに行われた。23年4月の相互乗り入れ開始以降、鉄道によってこの地を越境したのは世界112カ国延べ48万7000人だったと中国鉄路昆明局集団は発表している。世界約190カ国中の6割近い国の人々がインドシナ半島の奥地にある国際鉄道を利用した計算になる。中国からラオスへ向けた旅行者も増えており、24年は約105万人が国境を越えた。ラオス入国国別ランキングで上位3位に当たるという。
貨物輸送も盛んだ。今年は年初から過去最高水準のペースで推移しているといい、21年の開通以来の延べ輸送実績は間もなく6000万トンを超える見通し。両国間の国境貿易額も、24年は対前年比15.9%増の約82億ドル(約1兆2000億円)を記録。うち、ラオスから中国向けの輸出は21.4%も増加して約46億ドルだった。
中国からの投資意欲も引き続き堅調だ。ルアンパバーンでは総合病院となる県立病院が中国資本によってすでに完成を迎えたほか、25年半ばにはルアンナムター県やウドムサイ県など中国に近い北部4県のインフラ整備事業が完了の見込み。総投資額は約25億人民元(約500億円)に上るという。累積投資額は180億ドルに達すると試算されており、今後も増加すると予想されている。
こうした動きに合わせて、中老鉄路運行当局は今年4月からルアンパバーンと雲南省シップソンバンナー(西双版納)とを結ぶ国際直通列車の運転本数を、現在の週4日(月金土日)から水曜日を除く週6日へと増便することを決定した。運行開始当初は首都ビエンチャンとルアンパバーン間の輸送量が圧倒的に多いと見られていたが、蓋を開けてみれば予想を超えて国際直通列車の需要が高いことが分かった。中老鉄路では、今後も直通列車を増便させる方針だ。
14世紀半ばに、ラーオ族として初めてとなる統一王朝のラーンサーン王国が建国されてから400年余り。ルアンパバーンは統一王朝時代(1353~1707年)の、あるいは三国時代(1707~1779年)のルアンパバーン王国の首都であり続けた。しかし、以後はタイの支配を受け、19世紀末からはフランスの植民地へと編入。ラーオ族による主権国家として独立を回復するのは第2次世界大戦後の1949年のことだった。だが、その後もインドシナ戦禍に巻き込まれるなど長らく国際社会に翻弄される歴史をたどる。現在の政府は、75年に発足した社会主義国家ラオス人民民主共和国となる。
「ラオスらしさ」の一つに挙げられるものに、敬虔な信徒に支えられた仏教信仰がある。古都ルアンパバーンにおける毎朝の托鉢は「世界最大、第一級」とされ、ワット・シェントーンなど寺院が集中するサッカリン通りを中心に毎朝5時30分から1時間ほど行われている。凜と張り詰めた朝霧の中で進む托鉢の人並み。一般の観光客も寄進の列に並ぶことができる。
そのワット・シェントーン寺も世界遺産のシンボル的存在で1909年に建立。鋭く垂れ下がった金色の屋根やモザイク装飾は仏教美術のルアンパバーン様式の典型とされている。代表的な観光スポットだ。ほかにも、かつての王宮を改修したルアンパバーン国立博物館も見学場所として名高い。(つづく)